大判例

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広島高等裁判所岡山支部 昭和43年(ネ)183号 判決

控訴人

梶谷稔

右訴訟代理人

永宗明

被控訴人

梶谷笑子

右訴訟代理人

三宅為一

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、原判決添付目録記載(14)(15)(16)の各不動産につき所有権移転登記手続をなし、右各不動産を引渡せ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張ならびに証拠関係は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

控訴代理人の陳述

一、控訴人が被相続人から受取つた贈与金は、相続財産に算入さるべきものではない。即ち控訴人の実母興志野は、二男の控訴人を溺愛し、父鶴太郎が呉服商に失敗し破産するや、大正初年頃控訴人の将来を頗る憂え、当時の太陽生命、旭日生命、千代田生命に多額の生命保険契約を結び(但し保険の種類、金額等は審らかにし得ない)その受取人を控訴人に指定していた。そして興志野が大正九年一〇月死亡し右保険金一万〇、六〇〇円を被相続人鶴太郎が受取つたのを、控訴人が大正一一年一二月上海より帰国して、同人に請求し、鶴太郎から受取つたのが本件贈与金と称するものである。

二、大正年間と相続開始時の貨幣価値(物価指数)の比率を二五〇倍と評価するのは不合理、不公平である。財産分配の公平を期するならば裁判時における不動産の価額をも考慮すべきである。本件不動産は戦後急速に発展した水島工業地帯に位置するので、仮りに大正期田一反(三〇〇坪)が三〇〇円したとして、今日これが最低に見積もり坪当り三万円であつて、上昇率は三万倍であるので、本件不動産の合計坪数二、五五〇坪を右で計算すれば七、六五〇万円となり、仮りに控訴人の特別受益金が四、一二五円、その後の貨幣価値の下落率を一、〇〇〇倍と仮定しても四一二万五、〇〇〇円にしかならず、相続財産全体の1/6には達しない。

被控訴代理人の陳述

控訴人の右主張は争う。

証拠関係〈省略〉

理由

当裁判所は、当審における新たな弁論及び証拠調の結果を斟酌しても、控訴人の本訴請求は理由がなく棄却を免れないものと判断するが、その理由は次に付加、訂正するほかは、原判決の理由の説示と同一であるから、これを引用する。

一原判決七枚目裏八行目「被告梶谷梅野本人尋問の結果」を「原審及び当審における証人梶谷梅野の各証言」と、同九行目「原告本人尋問の結果(第一、二、三回)」とあるのを「原審及び当審における控訴本人尋問の各結果」とそれぞれ改め、同一二行目「いること」以下同八枚目表七行目迄を「同じく大正一五年薄荷油二鑵を勝手に持出し四〇〇円位で処分してそれを上海行き旅費に充てたことがいずれも認められ、前掲控訴本人や証人梶谷梅野の各供述、原審証人梶谷佐美野の証言中、右認定に一部牴触する各部分はいずれも措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そして以上の事実からすれば薄荷油の持出は当時鶴太郎から任意に贈与を受けたと言えないにしても、双方の親族関係、その後の経過からすれば鶴太郎が爾後においてそれを黙認していると見られるので、結局右現金と薄荷の当時の相場四〇〇円とを合算した金四、五二五円が、控訴人の受けた生計の資本としての特別受益となり、これが本件遺留分算定の基礎となる相続財産に含まれることが明らかである。その他右認定額を超えて控訴人が学資等の金額の贈与を受けたことを認めるに足りる証拠はない。」に改め、その次に「控訴人は右の点につき、鶴太郎から受けた右現金等は、控訴人を受取人と指定した母与志野の死亡生命保険金一万〇、六〇〇円の一部支払いであつて、相続財産に算入さるべき特別受益ではないと主張するが、そもそも保険の種類、金額、受取人を控訴人に指定されていたことはいずれも本件全証拠によつても認め得ない(この点についての控訴人本人尋問結果、当審証人石井卓一の証言自体が甚だ曖昧であり、且つ裏付証拠も全然ない)ので、右主張は前提において既に失当であつて排斥を免れない。」を加える。

二原判決八枚目裏七行目「かかる場合には」の次に〈注*〉「贈与された金銭が費消されることなく貨幣価値の変動を生じた後に至るまでそのまま金銭又はこれと同視しうべき有価証券として貯蓄されていた等特段の事情の認められない限り」を加える。

三原判決九枚目表四行目「四、一二五円」を「四、五二五円」と、同六行目「一〇三万一、二五〇円」を「一一三万一、二五〇円」と、同七行目「三四八万三、〇七六円」を「三五八万三、〇七六円」と、同八行目「五八万五一二円」を「五九万七、一七九円」と、同一一行目「四、一二五円」を「四、五二五円」と、同末行「一〇三万一、二五〇円」を「一一三万一、二五〇円」と、九枚目裏二行目「五八万五一二円」を「五九万七、一七九円」と、それぞれ改める。

してみると原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(渡辺忠之 山下進 篠森真之)

別紙目録〈省略〉

【参考】 原判決(岡山地裁倉敷支部昭和三六年(ワ)第六八号事件)

理由

一原告の亡父訴外梶谷鶴太郎が昭和三三年一月七日に死亡し、その妻である訴外佐美野、二男である原告、長男である訴外亡淳平(昭和二六年二月一一日死亡)の長女たる被告(代襲相続)、淳平の養子たる訴外竜八(代襲相続)の四名が共同相続したこと、したがつて原告の遺留分の割合(抽象的遺留分額)が遺留分算定の基礎となる財産の六分の一であることはいずれも当事者間に争いがない。

二そこで具体的な遺留分算定の基礎となる財産の範囲について考える。

(1)ないし(15)(18)ないし(24)不動産をもと鶴太郎が所有していたこと、(23)(24)不動産が経済的に無価値であること、鶴太郎には債務がなかつたことはいずれも当事者間に争いがない。

被告は(16)不動産は昭和七年頃、鶴太郎の妻である訴外佐美野が訴外板谷夏野から買受けてこれを所有し、(17)不動産は昭和二年頃、佐美野が所持金五五〇〇円を費して建築し、所有するに至つたものであり、いずれももともと鶴太郎所有の不動産ではなかつたと主張するが 〈証拠〉によれば、(16)不動産については、昭和一一年一二月一八日付板谷鹿之助から鶴太郎への同日売買による所有権移転登記が、(17)不動産については昭和二八年四月一七日付鶴太郎のための保存登記がそれぞれなされていることが認められ、右事実から鶴太郎が当時右各不動産を所有していたことが推認され〈る。証拠判断省略〉

次に被告は(18)不動産のうち木造瓦葺平家建風呂一棟建坪二坪六合、木造瓦葺平家建納屋一棟建坪九坪二合はいずれも朽廃し、とりこわされたと主張する。なるほど〈証拠〉によれば、木造瓦葺平家建風呂一棟については朽廃したので昭和二五年頃竜八がこれをとりこわしてすでに滅失していることが認められ、右認定に反する証拠はないが(その跡へ新しく建てられた木造セメント瓦葺平家建炊事場一棟が鶴太郎によつて建築されたことを認めるに足りる証拠は存在しないことを付言する。)木造瓦葺平家建納屋一棟が朽廃滅失したことを認めるに足りる証拠はなく、却つて前掲各証拠によれば右建物は竜八によつて造改築されたにとどまることが認められる。〈証拠判断省略〉

次に〈証拠〉を綜合すると、昭和二年頃鶴太郎は(1)ないし(13)不動産を長男である亡淳平に贈与し、以来淳平とその妻梅野が右田畑を耕作してきたが登記は鶴太郎名義のまま残つていたこと、淳平の死後鶴太郎は岡野染次郎の勧めによつて右登記を淳平の家族名義に移そうと考え昭和二八年三月三一日、淳平の妻である梅野に対し右各不動産について昭和二七年四月一〇日付贈与を原因とする所有権移転登記をしたことがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はなく、〈証拠〉によれば、鶴太郎は昭和二八年四月一〇日頃、その所有する宅地、建物のうち(17)ないし(22)不動産(但し前記滅失せる風呂は含まない)を竜八に贈与して同月一七日付をもつてその旨所有権移転登記をなし、次いで(14)(15)(16)不動産を被告に贈与し、昭和三一年五月二八日、右各不動産につき被告に対する昭和二八年五月一〇日付贈与を原因とする所有権移転登記をしたことがそれぞれ認められ〈る。証拠判断省略〉また〈証拠〉によれば原告は大正一二年頃から一五年頃にかけて就職のための運動費、旅費、事業のための資金として鶴太郎から合計四一二五円の現金の贈与を受けていることが認められ右認定を覆えすに足りる証拠はない。しかしながら原告が右金額を超えて学資の贈与を受けたこと、薄荷を贈与されたことはこれを認めるに足りる証拠がなく、原告本人尋問の結果によれば、薄荷は原告が勝手に持ち出したものであることが認められる。そして以上認定にかかる各贈与は全て生計の資本としての贈与であり、共同相続人に対する相続分の前渡しとしての性格を持つものと認められ、したがつて鶴太郎、竜八、被告らの悪意について判断するまでもなく、全て本件遺留分算定の基礎となる財産の範囲に含まれることが明らかである。

三次に原告の具体的遺留分額を決定するためには、右遺留分算定の基礎となる財産の評価をしなければならないが、遺留分権が具体的に発生し、遺留分の範囲が決定するのが相続開始時であることからみて、評価の基準時は相続開始時であると解され、したがつて遺産とみなされる贈与についても原則として贈与価額の自然的増減は相続開始時の時価で評価しなければならない。ただ現金については終戦後の貨幣価値の暴落により、贈与時と相続時とでは貨幣価値が数百分の一に下落しているような場合があり、そのような場合においても金銭の通性としてやむをえず「円は円に等しい」として、贈与時の一万円は何時になつても一万円であるとするのは社会的妥当性を欠き、相続人間の公平をはかるための技術的制度である「遺産とみなされる贈与の持戻」の立法趣旨にももとることになると考えられ、かかる場合には贈与〈註*〉時の金額を相続開始時の貨幣価値に換算した価額をもつて算定の基礎とするのが相当であると解する。ところで本件においても原告が鶴太郎から贈与を受けた大正一二年ないし一五年当時と相続開始時とでは物価指数において後者が前者の少くとも二五〇倍以上であることは公知の事実であるから、以上のような考え方に拠つて本件遺留分算定の基礎となる財産の価額を算出すると、不動産については鑑定人塚村伝十郎の鑑定の結果により、(1)ないし(2)不動産(但し(18)不動産のうち滅失せる木造瓦葺平家建風呂一棟を除く)の相続開始時の時価合計が二四五万一八二六円となり、現金については原告の受けた贈与金四一二五円を相続開始時たる昭和三三年一月当時の貨幣価値に換算するのに、物価指数の比率を一対二五〇とみて一〇三万一二五〇円となる。したがつて本件遺留分算定の基礎となる財産の額は以上合計三四八万三〇七六円であり、原告の具体的遺留分額はその六分の一たる五八万五一二円となることが計数上明らかである。

四そこで被告の受けた贈与が原告の右遺留分額を侵害しているか否かについて考えるのに、原告が鶴太郎から生前四一二五円の贈与を受けており、右贈与額を相続開始時を基準として評価するときは一〇三万一二五〇円とみなすのが相当であることは前述のとおりである。そして右は相続利益として、遺留分侵害額の計算にあたつては、原告の右具体的遺留分額(五八万五一二円)から控除しなければならないと解されるところ、これを差引くと残りはなくなるから結局この点において原告の本訴請求は理由がないことになる。よつてその余について判断するまでもなく原告の本訴請求を棄却することとし、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判断する。 (東條敬)

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